2012/08/26

ミッション・ポッシブル!

ミッション、と聞くと、トム・クルーズを思い出すのは私だけでしょうか?!今日は、「自分のミッション(使命)」について書きたいと思います。

正直なところ、ミッションと聞くと「何を大げさな・・・。」というのが私の最初の感想でした。人生の使命とか聞くと「なんか、大げさというか、怖いじゃないの。」というイメージもありました。

最近、スティーブン・R・コヴィ博士の「最優先事項」という本を読んでいるのですが、ミッション・ステートメントという言葉が何回も出てきます。

彼の本はスピリチュアルな内容をビジネスマン用にダウンロードした、という印象があります。入口は違っても、目指すところ(出口)は一緒、という感じで、モノより人を大事にして生きましょうと説き、そのために優先すること、そのために具体的に出来る事、それをする理由、その結果何がもたらされるかなどがわかりやすく書かれています。

そのなかで、このミッション・ステートメントが非常に大事になってくるのですが、これを決めるまでが1つの個人的なプロセス(自分を掘り下げていく経験)になります。では、どうやってそれを決めるのか、そしてそれがなぜ自分のミッションだと確信できるのか・・・。

ご参考までに、最近、私のホームページで掲げた、私のミッションとその目的をここに再度掲載します。


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”癒しが広がっていく世界”のために貢献します
この世界に、癒し(親切、優しさ、真心、誠意、温かさ、思いやりなど)が自然と広がっていくようになるために、私は貢献します。

私は紹介を大切にします。”紹介”は、誰かが誰かを思いやって行われるものだからです。
私は自己成長に尽力します。自分の成長なしに、クライアント様の成長は望めないからです。
私は大切な事は何か、常に探します。今という時にフォーカスして、最善を選ぶためです。



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これは瞑想して得た答えです。頭で考えたものとは全く違う、えらく壮大なものが出てきました。(笑)でも、実際に何ができるの?!というところなのですが、毎日の生活で、出来る事しかできません。つまり、「毎日出来ることをやる」ってことです。

「思いやりや優しさが広がっていくために、自分が毎日出来ることは何だろう?」と具体的にあれこれ考えた結果、「人に声をかける」ということを始めました。意外とふつうのことでしょう?

ちょうど、愛犬と1日2回、1時間ずつの散歩をしているので、その時には知らない人やウォーキングですれ違うだけの人にも朝晩の挨拶を積極的にしたり、天気の挨拶をしたり、畑の手入れをしている人にも「大変ですね。」などと声をかけたりしはじめました。

そうしてわかったことは、言葉とそのエネルギーのパワー(影響)は、とても大きいものだ、ということです。本当に、言葉の力をバカにしてはいけないな、ということがよくわかります。(いえ、バカにはしてないけど、過小評価していたかもしれません。)

知らない人に、どうやって声をかけるの?と思う方のために、以下、私が実際にやっている具体例です。


  • おはようございます、こんにちは、の挨拶
  • 今朝は涼しいですね、まだまだ暑いですね、の天気の挨拶
  • 犬連れの人なら、「男の子ですか、女の子ですか?」「可愛い胴輪ですね」などの一言
  • こどもが来たら「夏休みはいつまでなの?」「ラジオ体操行ってるの?」などの一言
  • 草取りをしている人なら「大変ですねえ。」「きれいになってますねえ。」などの一言
  • 畑仕事をしている人なら「(朝の作業が)早いですねえ。」「ここはいつもきれいに手入れされてますねえ。」などの一言
  • 近所の人なら「いまから散歩なんですよ」「○○(例:腰痛や膝の痛みなど)の調子はどう?」など
都会と違うところは、田舎では「知らない人」を警戒するので、とりあえず、こちらから声をかけると怪しまれる確率が減るという、良いこともあります。(笑)

続けていると、相手も覚えてくれて、向こうから声をかけてくれることもあります。犬が好きな人は(飼い主のことはうろ覚えでも)犬を覚えてくれるので、それで声をかけてくれることも多々あります。


相手を覚えると、以前と違ってくるのは表情に「笑顔」が生まれることです。これって、いいですよね。一言、ふた言の挨拶(言葉)のパワーを実感するときです。もちろん、最初から笑顔が生まれることも多々あります。

結局、ミッションとはいえ、自分に出来る事しか出てこないのですよね、瞑想しようが何をしようが。そう考えると「実行すること」=「自分への信頼」(自分が自分を信頼できるか?)につながっているというコヴィ博士の言葉にも納得します。

「自分には無理。」「いや、出来るわけないよ。」と思う時、自己信頼がない状態です。人格と能力は一致する、という博士の言葉がありましたが、私たちは自分を裏切らないように、必ず達成できる小さな事柄を実行する、ということを繰り返して、自分に対して約束を守る、という訓練が必要だそうです。

一人にならないこと、誰かに助けを求めることはとても大切です。自分が実行したいことを助けてくれる人はいますか?勇気づけてくれる人は誰ですか?その人を大事にしていますか?そして、その人たちと一緒に実行していきたい、あなたのミッション(人生の柱となる信条)は何ですか?



2012/08/16

思いやりネットワーク

最近、お世話になってきた方や以前のクライアント様、また私の友人たちに以下のような手紙(メール)を送りました。今回は、この手紙が本当に意味するところについて書きたいと思います。

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お世話になっている皆様へ 
 残暑お見舞い申し上げます。まだまだ蒸し暑い日が続きますね。その後、お変わりなくお過ごしでしょうか。 

私は昨年6月に米国のバーバラ・ブレナン・スクール・オブ・ヒーリングを卒業して以来、エネルギー・ヒーリングの個人セッションを行ってきました。卒業以前は医療レベルの(高品質の)エッセンシャルオイルを使ったアロマトリートメントを主に行っておりましたが、現在は嬉しいことに、エネルギー・ヒーリングをご希望の方が増えていらしゃいました。おかげさまで、仕事も順調に成長してきております。 

セッションにいらして、痛みが改善したり、対人関係が改善した方たちの中で「こんなのが(ヒーリングが)あったなんて、知らなかった。」とおっしゃる方が何人もいらっしゃったのですが、私はもっと多くの人たちにエネルギー・ヒーリングを体験してほしい、自分を健康に保つための幅広い選択肢の1つとして知ってほしい、と願ってきました。

皆様の周りで、エネルギー・ヒーリングが必要、またはやってみたらいいのではないか、と思い当たる方はいらっしゃいますか?遠隔ヒーリングができるので、福岡に(日本に)住んでいる必要はありません。具体的には、

  • 30代以上の働いている、または忙しい女性で
  • 人間関係に悩んでいる
  • 人生でいま、どうしていいかわからないことがある
  • 自分の置かれている環境を変えたい
  • 本当にやりたいことを見つけたい
  • からだ・心・精神的なバランスを取り戻したい

というような方です。皆様も、皆様のご友人、ご家族の皆様、同僚の方やクラブ/サークルのお仲間も、何も失うものはありません。皆様のご友人が初回セッション終了後、全く満足されなかった場合、私はお代をいただきません。また、ご友人が3名セッションを受けるごとに、皆様には私のフルセッションを1回無料で提供させて頂きます。 

皆様の中で、または皆様の周りに、対人関係で疲れている女性や本当にやりたいことが何かわからないという女性はいませんか?退職、転職で悩んでいる女性や、退院後で体と心のバランスをケアしたい、という方はいませんか。私はそういう方々のお役に立てます。ご友人には紹介者として皆様の名前を私に伝えるようにと言って、私の予約用メールアドレス(kumienakamura@gmail.com)または電話番号(0942-21-3779)を教えてあげてください。私のホームページはhttp://www.kumienakamura.tumblr.comです。

 それでは、皆様もまだまだ続く暑さに負けないよう、お身体ご自愛のうえ健やかにお過ごしください。 
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さくさくと書いて、とっとと出したわけでは全くございません。(笑)実は2か月近くかかりました。書き始めるまでの間、書き始めてから、書き終わってからも、自分の中にさまざまな疑問や否定、罪悪感などが生まれてきました。

以前の私は、他人にお願いすること(この手紙の場合は「紹介」)にとても罪悪感を感じました。それはまるで他人を強制しているように感じたからです。

でも、実は違いました。

今回、深いプロセスが寄せては返る波のように押し寄せてきて、実は、「紹介」がどれほど感謝に満ちているものかということがわかりました。

具体的にお話ししましょう。

もし、誰かがあなたに私を紹介したとしたら、その誰かは、あなたのさまざまな悩みを知った・知っていたわけです。そして、その時から、その誰かの頭の隅にはあなたのためのスペースができます。あなたの体調や心配ごと、心理的な不安や入退院のことを気にかけてくれるスペースです。

あなたのさまざまな悩みを知った・知っていた「誰か」は、たとえ無意識であったとしても、その悩みのことを気にかけてくれていた、ということになります。

ここなのです、本当の、「紹介」の意味は。どのような内容であれ、紹介というのは相手に対しての「思いやり」がなければ行われないのです。

「最近、夜、眠れなくて。」
「仕事がうまくいかなくて。」
「彼とうまくいかないんだよね。」

こんなつぶやきを聞いた友人や家族や同僚は、たとえ無意識であっても、それらが解決すればいいなあという思いやりや希望を持って、暗い部屋にキャンドルの火をともしてくれます。

「エネルギー・ヒーリングとか、嫌じゃなかったら受けてみれば?私、やってる人、知ってるよ。」

私にはまるで、光のネットワークがどんどん広がるように感じられました。私の手紙(メール)を受け取った人たちが、光の大使となって、さらに光を広げてくれるのです。

マーケティングの世界では口コミと言われるものかもしれません。でも、ここに「誰かへの思いやりや愛」というエッセンスが加わることで、あなたにとって本当に大切な、人生を変えるほどの光がやってくるかもしれないのです。

郵送で手紙をお送りした方には新しく出来あがった名刺を3枚、同封させていただきました。裏は15分間の無料相談を予約できるカードになっています。今年じゅうに、皆さんのお手元に3枚ずつ、お届けします。

まだ、受け取っていらっしゃらないかた、どうぞお楽しみに。必ず送らせていただきます。



2012/08/08

コントロールからwin-winへ

最近、ビジネス内容としてはwin-winの内容なのに、なぜか私には「相手をコントロールしている」「相手に強制している」と感じられたことがありました。


具体的にお話ししましょう。


ビジネスの取引相手AとBがいます。AはBに商品を売り、Bは売上のマージンをAに納めます。ある日、AはBに条件を持ち出します。「Bさん、売り上げのマージンのうち、10%はあなたが取っていいですよ。」Bは喜んで、いつもよりたくさん商品を買いました。売れば売るほど、10%の金額が大きくなるからです。Aにしてみれば、Bにたくさん買ってもらうことで得をします。マージンが10%減っても、損にはなりません。つまり、どちらも得をするというものです。


本田健さんの本で似たような内容が書かれていました。たくさんの電球を1個1ドルで売りたいのですが、なかなか買ってもらえません。そこで、ある家の人に言いました。「電球交換の作業は私がやりますので、1個1ドルで買ってもらえませんか?」たまたま相手がお年寄りだったので、この申し出はとても喜ばれた、というものでした。


私はこの「○○しますので、△△してもらえませんか?」という条件付きの契約に反応しました。親切からの行動ではない、と感じたのです。「ダイヤモンドを買ってくれたら、愛してあげるわよ。」もしくは「君が仕事を辞めるなら、結婚するよ。」という類(たぐい)のものに感じられました。


どうしてでしょう?


私はこの「嫌だな。」と思う気持ちを丁寧に感じてみました。すると、小さくて、硬くて、冷たい、パチンコ玉のような「孤独」だとわかりました。もし、このパチンコ玉が話せるとしたら?すると、パチンコ玉が私の心の中で、こう言いました。


「どうせ、自分なんて、誰も気にしてはくれない。」


実はこれ、ハコミセラピー(ハコミ療法)と言われるセラピーのやり方です。こんなネガティブなことを思っているのは、もちろん私自身なのです。実際には6歳だった私が、親から自分の悲しみをしっかりと受け取ってもらえなかった経験(「そんなこと言ってないで、早く寝なさい」等。)が影響していました。


さらに、親の感情がわからない(どう思っているのかわからない)=不安になる=おべっかを使う、機嫌を取る、という手段に出たことがわかりました。こどもの防衛本能です。好かれなければ、食事にありつけません。生死にかかわる大問題です。


私はイメージの中の、こどもの自分を助けに行きました。そして一緒に、母親のところへ行って、こどもの私がとても困っていることを伝えました。母親は驚いて、ちょっと困った顔でこう話したのでした。


「まあ、そう・・・実は、○○さんが亡くなったことは確かに悲しいけれど、反面、私は負担になっていた仕事が減ったから、ちょっと助かった面もあるのよ。」


大人の事情が、こどもにわかるはずもありません。亡くなった人の看病が大きな負担になっていた若かりし頃の母親は、実際にはホッとした面があったのでしょう。母親はこどもの私に謝り、2人は仲直りをして、一緒に帰っていきました。


それ以来、私の中で同じことを感じてみても、以前のイメージが払拭されました。そこには良いも悪いもなくて、思いやりのビジネスがwin-winで存在しています。例えて言うと、「おかげさまで」という言葉に代表されるような感覚です。


そういえば、電球の話では、喜んだお年寄りが他の似たような人をたくさん紹介してくれたので、電球はあっという間に売りきれてしまったのだそうです。



2012/08/01

こがね虫vsオオスズメバチ!

今日からいよいよ8月ですね。九州の日差しは、東京と比較すると、本当に強いです。愛犬と朝の散歩をしていても、午前7時過ぎには途端に日差しが強くなり、頬が熱い、とはっきり感じるくらいです。ウォーキングをしている人たちは、サングラス、帽子、長そでシャツ、手袋がお決まりファッション。曇りの日でも油断なりません。 


逆に夕方はいつまでも明るくて(とは言え、ヨーロッパほどではないですが)午後8時でもまだ少し明るいです。今日書くお話しは、その夕方の散歩である公園で見かけた光景です。正確には、どうぶつじゃなくて、昆虫なんですけどね(汗)どうしても忘れられないシーンだったので、やっぱり書くことにしました。


 川沿いにあるその公園は、愛犬もときどき立ち寄るスポット。その日の夕方はちょうど公園を横切って家に帰る途中でした。舗道沿いにある大きな木。その近くで「ブ~ン、ブ~ン!」とやたら耳につく音がしていることに気づきました。なんだろうと見てみると、いままで見たこともないような、大きコガネムシが飛んでいました。体長が3.5センチくらいはあったと思います。幹からつかず離れずで、左右180度に反転しながら飛んでいます。


 「変だなあ?」。そう思って少し近づいてみると、なんと、オオスズメバチ!これも初めて見ました。体長は5センチくらいで、顔がまんまるのオレンジ色。すごく大きい蜂です。思わず、愛犬と飛びのき、(実際には私だけが驚いたのですが)数歩後ろに下がりました。 


よく見ると、木の幹の中央あたりに裂け目があって、どうやらその奥にはコガネムシ一家の赤ちゃんたちが大勢いるようでした。なぜなら、幹の反対側には、お母さんコガネムシと思われる別のコガネムシがおろおろ行ったり来たりしていたからです。 


お父さんコガネムシはオオスズメバチが裂け目の中の赤ん坊たちを襲おうとしているのを止めたいのですが、なんと、スズメバチがお父さんコガネムシを頭突きして(本当に見ました!お父さん、飛んでるのに!)「来るな!お前も怪我するぞ!」とやっているのです。お父さんコガネムシは果敢に何度もチャレンジするのですが、そのたびにスズメバチが大きなオレンジ色の頭でグイ、グイ、とお父さんを突き離します。こどもたちを守りたいのに、自分も命が危ない・・・。 


本当に、真剣に守りたいのに、どうしようもない、力の差。自然のなかでは当然と言えば当然なのですが、私はこのシーンを見て、人間のことを思いました。 


例えば、DVを受けているこどもを守れない母親。自分の命も危ないうえに、男性との力の差はどうしようもありません。
例えば、災害からこどもを守れない両親。自然には決して逆らえないし、多くの人間が太刀打ちできないという現実があります。
例えば、離婚協議中の両親。今までも頑張ったし、あらゆる方法を試してみて、子どものために一緒にいようと努力してきたけれど、どうしても一緒にはいられないという結論に至ることがあります。


大人が真剣になっても、命を顧みず頑張っても、どうしても、できないことがある。だからといって、子供を見捨てたわけではないのです。子どもの立場からすると、「(お父さんが・お母さんが)自分を見放した」と思う瞬間があるかもしれません。大人は何でもできる、というのが子どもの感覚だからです。でも、実はそうじゃない。 


どんなにがんばっても、どうしても出来ないことがあって、だからといって、大人が何もしなかったわけではないんだよな。そう思って、公園を後にしました。その後、あの木の前を通ってはいません。いったい、どうなったのかな・・・。



2012/07/30

向き合う

向き合うっていうのは、無意識に避けるときがありますよね。
例えば、病気。
例えば、誰かの死。
例えば、不意に起こった出来事。
心の準備ができていなくて、現実を直視できないとき。

一番大きくて、一番越えられなさそうな、山。
もう、エベレスト級の。(笑)
最近、これを超えるコツ(?)を習得しました。

まず、一人ではやらないこと。
仲の良い友人や家族に話を聞いてもらいます。
自分の考えや思いを、冷静に受け止めてくれる人を探します。
これは、つらいことを乗り越えるには、必ず温かさが必要だからです。

次に、口に出して言ってみます。
例えば、病気だったら、「私はこの病気を治す!」とか。
そのときの自分からしたら、あまりにも前向きすぎて、内心、「いやいや、無理っしょ!」と思うことを、実際に口に出して言ってみます。

どうしても言えなかったら、そばにいる友人や家族に、先に言ってもらいます。3回以上言ってもらって、その言葉を心に留めるように、しっかりと耳の奥まで浸透させます。
それから、自分が言ってみます。

自分が言うときは3回以上、出来るだけたくさん言います。
最初はささやき声くらいでも大丈夫です。少しずつ声を大きくしていって、最後は他人に自己紹介をするときのような普通の会話の声で言います。

時間は好きなだけかけて構いません。例えば、親しい人の死などに直面した場合は、その悲しい事実を認めるのに数年、数十年かかることだってあります。

けれど、自分の中で「この山を乗り越える」と、はっきり意図していれば、時期がきたときに自然とこのようなことが言えるようになります。

言ってみるとわかるのですが、意外と普通に聞こえたりするのです。
あんなに難しい、到底無理!と思っていたことなのに「あれ?」と思うほどだったりするのです。

もし、いまあなたが辛いことを抱えていたら、まずは親切で貴方の話を真剣に聞いてくれる友人を一人、探しましょう。(そんな人がいなかったら、最寄りのお寺にでも駆け込んで!)

そして、「まったくもってムリ!」と思うような、でもどこかで自分が理想としている何かを、声に出して3回、言ってみてください。3回言えたら、もう3回、言ってみてください。できたら、〆にもう3回。

きっと、自分のエネルギーが少し変わったのを感じますよ。



2012/07/25

犬の番外編


老人と犬

あるとき、リードなしで歩く老人と犬を見ました。老人はとても痩せていて、片足が悪いのか、少しびっこ気味にゆっくり、ゆっくり歩いていました。そして、その老人と前後しながら、大きな黒い老犬がゆっくりゆっくりと歩いていました。犬の背は地面から人間の腰ちかくまであったでしょうか。


愛犬と散歩中にこの2人(?)と再会したときは、緊張しました。リードなしの大型犬というのは、他人を不安にさせます。愛犬も相手が大きいので、ちょっと心配そうに様子をうかがっていました。ところが、その大型犬は「自分は無害ですよ。」と愛犬に伝えて、そそくさと飼い主の老人の後を追いかけました。きっと、自分より若いオス犬と、関わり合いたくなかったのでしょう。


老人に話しかけたことがありました。
「あら、ひもなしで大丈夫ですか?」
「ああ、これはなーんもせんけんね。」
老人はそういうと、道端のにおいをかいでいる老犬を少し待ってから、一緒に歩いていきました。

そうなのか、と関心しつつも、やはり一抹の恐怖心を抱えたまま、私は愛犬と散歩を続けました。近くの原っぱで、よく会う品の良い年配の女性と会いました。さきほどの老人と老犬の話をすると、

「とんでもない!あの犬は私の髪を噛んだのよ!」


どういうことかと尋ねると、足の悪いその女性は、大きな犬がリードなしでやってくるのを遠くに見かけ、あわてて庭先から玄関に向かいました。もともと、犬は苦手だったからです。老人が通り過ぎるときに、「だいじょうぶですよ、この犬はなーんもせんけん。」と、私に言ったのと同じセリフを女性に言ったのですが、犬は背中を向けた女性に追いつき、立ち上がった姿勢で髪の毛を噛んだのだそうです。


わたしは、彼女の話を聞いて、驚きました。小柄な年配の女性なら、あの犬が立ち上がれば頭部までゆうに届く。なぜそんなことになったのだろう?犬は何と言いたかったのだろう。


飼い主が自分の犬に寄せる信頼って、何だろう?とちょっと考えさせられた一件でした。





老人と犬(2)

あるとき、リードを斜め掛けしている老人を見かけました。へえ、田舎で(そんなしゃれたリードを使っている人がいるなんて)めずらしいな、と思い、犬に目をやると、なんと、土佐犬でした!

大きな土佐犬を散歩させている老人は、肩からショルダーのようにひもをかけ、さらに犬の首輪にもリードをかけて2重にしていました。これは、知らない人が見ても、気を遣っているのがわかるなあ、と遠目に感心していました。

ただ、その土佐犬は大きかったものの、歩き方から、やや年老いていることがわかりました。老人は強い口調で「ほら!」とか「こら!」とかいいながら、犬に引っ張られないようにしていました。老人は小柄でした。

実はわたしは、それまで本物の土佐犬を見たことがありませんでした。公園近くで初めて見かけたときに、あまりの大きさに驚いて、思わず「なんていう種類の犬ですか?」と老人に質問しました。犬の特徴ある顔が、ちょうど見えなかったからです。


老人は少し怒ったように「これか?土佐犬じゃろ!」と言いました。おまえ、土佐犬もわからんのか!と言いたげでした。

わたしはその声に、老人の悲しみも感じました。きっと昔は大きくて元気で勢いがあった犬だったのでしょう。けれど、どんなに強かった犬も、年とともにやせてきたり、足取りが弱くなったりします。老人は愛する犬が強かったときの、自慢の土佐犬に見られなかったことがはがゆかったのでしょう。

人間よりも早く年を取る犬たち。白内障になったり、耳が聞こえなくなったり、痴呆症が始まったりします。昔のような美しい毛艶がなくなり、やせてきます。

そんな風に変わってしまっても、最期まで大事に家族の一員として飼われてほしい、と切に望みます。



三匹の子猫と私(3)

最後に訪れた日から数日後、ふたたび私は小屋を訪ねました。今度は自分だけでした。

「あ。」イヤな予感。スライド式ドアが、きっちりと閉められています。まさか・・・。

静かに近づいても、子猫たちの鳴き声はしません。そおっと開けると、子猫たちはいませんでした。ふと気づくと、手前に母猫が出産した後のような形跡がありました。そっか。ここで産んだんだ。

誰かに連れて行かれたのでしょうか。それとも、母猫が1匹ずつ咥えて、どこか別の場所に子猫たちを移したのでしょうか。わかりません。

各地の保健所の所轄にある「動物管理センター」。ここで一番多いのは、子猫の殺処分だそうです。私は以前、地元の動物管理センターで、子猫の鳴き声とともに、大きな大きな麻袋(大人がしゃがんで入るくらいの大きさ)が、もぞもぞ動いていたのを見たことがあります。

たくさん生まれる野良猫たち。けれど、昔のようにえさをやって地域で育てているところは今、めったにありません。むしろ、増える猫たちが迷惑だということで、「野良猫にえさをやらないでください」という看板を見かけたりします。きっと、むかしの家にはねずみが出たりしていたので、猫が重宝されていたのでしょう。

猫たちがどこかで生きているなら、いまごろはもう大人になっているころです




【最新情報】ヒーリングビギナーの方へ

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖動物が大好きなエネルギーヒーラーです💛犬2匹猫30匹をお看取りした経験から、ペットロスのヒーリングサポートをしています。  こんにちは、中村久美恵です^^  今日は2023年12月29日に掲載した情報の...