2012/05/28

分かち合うこと

愛犬とする朝の散歩ですが、気温が上がってくると同時に、だんだんと出発時間が早くなってきました。そんな朝の散歩が、思わぬハッピーをもたらしてくれることがあります。

ある朝、通り沿いの家から朝ごはん中らしき音が聞こえてきました。カチャ、カチャ、と箸と茶碗が当たる音、食べながら話しているような、少しくぐもった声、そして家族の大きな笑い声…。何て幸せな食卓なんだろう、と思わず笑顔になりました。

同じものを一緒に食べるということは、同じ細胞が身体の中にできるということ。これが家族の絆を強くするのでしょうか。(夫婦はだんだん似てくる、と言われたりしますよね。)


またある朝、神社の境内で一休みしていると、庭掃除をしていたおじさんが近づいてきました。私が愛犬に頬を寄せているのを見て、何をしているのかと思って近づいてきたそうです。

「あー、可愛かもんね!」おじさんはそう言うと、自分も犬を2匹飼っているのだといいました。「家の中で飼っとるけん、毛だらけになるたい!」嬉しそうな笑顔でそう言いました。そう、犬好きな人にとっては、布団が毛だらけになっても、たいした問題ではないのです。「旅行やら行かれんやろ?もう、可哀そかけんねー。」一度、ペットホテルに預けて留守にしたそうですが、再会した時の喜びようがあまりにもすごかったので、もう置いてはいけない、と思ったそうです。


犬を散歩させていると、道の向こうからやはり犬がやってきて、ちょっと気を配ることがあります。特に、怖がりの犬、同性の犬、よく吠える犬などの飼い主は気を遣います。空き地があれば、とりあえずそこへ行って相手の犬が通り過ぎるのを待ったり、横道に入ったり、通りを渡ったりして「難」を事前回避します。

そのときも、50mほど離れたところに犬を連れた女性が見えました。「オスかな、メスかな?」初対面の同性同士でも、仲良くなることもあるので、いちがいに相性はわかりません。でも、その女性が大きな空き地に入ってゆっくり回っているのを見ました。

「奥さん、すみませーん、お待たせしましたー!」私はこういう時、必ずお礼を言って通り過ぎるようにしています。例え、犬同士が何もなかったとしても、ああして待っていてくれると、安心して歩けます。


近所に、昔は流行ったであろう、商店街があります。今は空き店舗ばかりで、お年寄りが少し、店を開いています。

魚屋さんの前を通ったら、おじさんが通りを渡って話しかけてきました。「散歩行ってきたねー?」食べ物屋さんの前はできるだけ避けて歩くようにしています。「そうなんですー。だんだん、朝の散歩時間が早くなってきて・・・。」「うちにも2匹おってのー、朝5時に散歩しよる!」

ん・・・?よく見ると、神社の掃除をしていたおじさんでした!あら、魚屋さんだったのね?!おじさんは境内で会ったときと同じように、自分も犬が好きなこと、布団が毛だらけになること、(店舗2階のご自宅らしきベランダに布団が干されていて、「ほら!」とニコニコしながら指をさして教えてました。)旅行にはいけないことを話してくれました。


ここに出てきた人たちは、私と直接会う、会わないは関係なく、私と小さな幸せを分かち合ってくれました。それは、笑い声だったり、笑顔だったり、会釈だったり、心からの素直な言葉だったりします。モノでなくても、お金でなくても、分かち合えるものはたくさんあります。そういうものを大切にしている人とは、また会いたくなります・・・。



2012/05/26

のら犬と私(2)

動物病院では改めて、のら犬保護の厳しさを知ることになりました。受付の方に話して、どなたか探している方がいたらいけないと思って・・・とお話しすると、「さあ・・・。」というお返事。よくよく聞くと、一時保護等はしておらず、連れてきた人が飼い主になるなら健康状態を診察します、ということでした。代金をもらえないのなら、診ることはできません、ということです。(当たり前ですが)うちにはすでに犬がいるし、貸家だから現実的には無理です、とお話しすると、受付の方は、迷子掲示板に乗せるにしても連絡先が必要となるので、やはり、私の電話番号が必要になるとのことでした。

結局、のら犬や迷子犬を保護しても、そこから先、なのです。動物管理センター(地域によっては動物愛護センター、動物保護センターなどとも呼ばれるようです。要するに、保健所の一部です。)へ連れて行けば、3日間のみ保護され、あとは二酸化炭素ガスで殺処分です。地域によって、保護期間に違いはあるものの、法律上は3日間となっているため、文句は言えません。ボランティアセンターへ連れて行けばいいかもしれません。けれど、もしかしたら飼い主が探しているかもしれないことが気にかかります。それに、ボランティアセンターがどこにあって、どういう人が運営しているのかという情報を知らないまま、連れて行くのにも抵抗がありました。自分では飼えない、動物管理センターは避けたい、ボランティアセンターは余裕があるのかどうかわからない。困った私は、とりあえず、もう1軒の動物病院へ連れていく事にしました。

女の子たちは病院の外で待っていたのですが、結果を聞いて残念そうな顔になりました。「ここにはいられないから、別の動物病院へ行くね。そこは歩いていくと、とても遠いから、ここから帰ったほうがいいよ。」すると、一人の女の子が「だいじょうぶ!ここからどのくらい?」自分はまだまだ元気だから、まだ歩ける!と言いました。もう一人の女の子は心細そうな顔になって、迷っている感じでした。明らかに二人の間で意見が異なることを見てとった私は言いました。「ここから、40分くらいは歩くかも。すっごく遠いから、ここでやめたほうがいいよ。ほんとに、お昼ご飯食べにおうちに帰りな。ね?お母さんが心配するといけないから。」すると元気な女の子がいいました。「心配しないもん。うちね、親ね、離婚したからお母さんいないもん。おばあちゃんだけ。だから、誰も心配しない!」「そう・・・」そう言って、もう一人の女の子の顔を見ました。彼女は子ども用の携帯電話を持っていて、「お母さんに聞いてみる。」と言いました。電話の向こうでお母さんは、早く帰ってらっしゃい、と言ったそうです。なぜなら、彼女がお母さんに言ったのは「ママ?あのねえ、犬がおるよ。すごくね、やせとる。」だけだったからです。

子どもは話すのに時間がかかります。それは大人のように語彙がないからでもあるし、いま、自分が置かれている状況を大人のように全体から把握することが難しいからでもあります。彼女のお母さんが早く帰ってらっしゃい、と言ったことは当然で、犬よりも早く帰ってきて、お昼ご飯を食べなさい、ということでしょう。

さて、帰りたい女の子と家に帰っても面白くない女の子。困りました。私は、帰りたくない女の子に歩きながら話しかけました。「お腹すいてない?」「うん!平気。まだまだ歩ける!」途中で投げ出すことはいけないことのように感じているようでした。責任感の強い子なのでしょう。「あのねえ、」彼女の肩を片手で一瞬抱いて言いました。「お母さんはおらんでもね、おばあちゃんが心配してると思うよ。おばあちゃんはね、言わんだけよ。」小学校低学年の彼女が、自分を心配してくれる人は誰もいない、と言ったことに、私の心はチクチクととげで刺されたようになっていました。自分のことを誰も心配なんかしてくれない、とこんな幼くして信じてしまうなんて。お父さんが離婚したのはあなたのせいじゃない、心配していないから離婚したわけじゃないんだよ。「えー、でもね、おばあちゃんね・・・・。」

自分の事を心配してもらうためには、自分のことを好きになってもらわなければならない。
自分の事を好きになってもらうには、一生懸命頑張らなくてはいけない。
だから、途中でやめるなんてダメで、とことん、頑張らなくっちゃ。

彼女の中の小さな先生が、こう語っているようでした。彼女は自分の自転車を押しながら一緒に歩いてきてくれたのですが、結局、「自転車をここに置きっぱなしで行って、(その間に自転車を)取られたら困るんじゃない?」と言った私の一言に思いとどまりました。福岡県は自転車の盗難、乗り捨てが全国ワースト10に入ります。冗談ではなく、本当に盗難が多いのです。

元気な彼女を説得している間に、携帯電話の彼女は「お腹が痛い。」としゃがみこんでしまいました。これ以上遠くへ行きたくないという思いを消化しきれなかったのか、朝ごはんに何か悪いものを食べてしまったのかはわかりません。「だいじょうぶ?どんな風に痛い?」と顔を覗き込みました。

「じゃあ、連絡します!電話していいですか?」と元気な彼女。友だちを気遣って、さらに自転車のことで行きたいという思いが吹っ切れたのでしょう。「うん、いいよ。じゃあ、これね、私の連絡先。」と持っていた名刺を渡しました。「電話がかかってきたときにわかるように、お名前だけ聞いておこうかな?」と私が言うと、彼女は「私、メモ持ってます。ペンもあります!」と下げていたポシェットから可愛らしいピンク色のメモを取り出して、自分と友達の名前を書いてくれました。「どうもありがとう。助かったあ、ここまで一緒に来てくれて。ありがとうね。」お礼を言ったのは、自分は本当に他人の役に立った、と感じてほしかったのです。あなたは心配される価値があるんだよ。

お腹の痛かった女の子も、私たちのやりとりを聞いて安心したのか、ようやく立ち上がりました。「気を付けて帰るんだよ。帰り方、わかる?」と聞くとうなづきました。二人は、暑い初夏の日差しに照らされて、だんだん小さくなりました。犬を見ると、暑そうにハアハア言って、「まだ?」と文句を言いたそうな顔をしていました。







2012/05/25

のら犬と私(1)

その日、めすの迷子犬を見かけました。買い物帰り、車からチラッと見えたのは大きなバイパス道路をふらふらと歩いている、赤い首輪をした犬で、遠目にも、あばら骨が見えました。足は枝のように細くて、長いことまともに食べていないようでした。

いったん家に帰ったものの、どうしても気になって、ペット用自転車(前かごが大きくて、15kgくらいまでの犬猫なら安全に乗せられる設計になったバッグ付き)で犬を見かけた場所まで行ってみました。

「いた、いた。」大きな道路からいっぽん裏に入った、川沿いの道路をスタスタ歩いていました。どこか目的地があるのか、足取りは「急いでいる」ように見えました。

自転車で近づきましたが、すぐに逃げてしまいます。追いかけて、逃げられ、追いかけて、逃げられ。初夏の日差しが降り注ぐ中、ついに犬は断念しました。私に首輪をつかまれて、リードにつながれました。水を持っていた私は、小さな容器に移し替えて犬が飲みやすい場所に置きました。

飼い犬だったことは明らかですが、捨てられたのか、逃げてきたのかはわかりません。名札はつけていませんでした。「ああ、名札さえつけていたら帰れるのに・・・」。帰る家がこの犬にとって幸せな場所かどうかはわかりませんが、名札さえつけていたら、自宅に戻れるのです。私が今、飼っている犬も、名札をつけていませんでした。保護して1か月後に会った飼い主さんは、「そんなこと(逃げ出す)になるとは、思っとらんけん!」と私に言ったことを今でも覚えています。福岡県は一昨年まで犬猫の殺処分が全国ワースト1位でした。それだけ、県民の税金を使っていることになります。

とにかく、家に連れて帰る前に動物病院へ連れて行こう。もしかしたら、飼い主さんが探していて、病院の「探しています」掲示板に何か情報があるかもしれない。そう思った私は、暑い日差しの中、自転車を押しながら犬と歩き出しました。なぜ自転車を押しながらかというと、犬はあまり人懐こいタイプではなく、とてもかごの中には入れられなかったからです。

少し行ったところで、小学生の女の子2名が話しかけてきました。「その犬、噛みますか?」。自分の犬ならいいけど、この犬はなあ・・・。私は通常、こどもが犬を触らせてほしいと言ってきたら、愛犬の様子を見ながら快諾します。それは、私の犬がこども好きだから。でも、この犬はわかりません。用心のため、女の子たちには「この犬はわからんよ。さっき、川の横でつかまえたけん。」と言いました。好奇心と人助け(犬助け?)の花がぱっと満開になったように、女の子たちは私を質問攻めにしました。どうしてつかまえたのか、どこから来たのか、なぜ1匹で歩いていたのか、飼い主さんはどこにいるのか。全部の質問に答えた後、これから病院へ連れて行くのだと言うと、女の子たちは「わたしたちも行く!!」。お昼どきだし、お母さんが待っているのでは?というと、「まだお腹すいてないもん!」。その場所から、動物病院までは10分とかからないので、お供してもらうことになりました。




2012/05/20

カラスとかちがらす(4)

ヒナのお墓を作ってから数日。いつのまにかカラスのお見合いシーズンは終わったらしく、辺りは再び静かになりました。かちがらす夫婦の巣はそのままありますが、もうカラスはいません。そのうち、電力会社の人たちが巣を撤去することでしょう。

さらにその数日後。この原っぱの草取りの日がやってきました。ご近所さんの誰かが草刈り機で事前に草をきれいに刈ってくれていたので、当日はごみ袋に枯れ草をつめこむだけとなりました。

人がいなくなった後のきれいになった芝生に、小さなすずめたちが降りてきました。きっと、この春に巣だった若いすずめなのでしょう、まだ体つきが小さいようです。そして、若いかちがらす夫婦も降りてきました。すずめはとても怖がりな鳥なので、すずめのいる場所なら安全なのだろう、ということで降りてきたのかもしれません。

かちがらすは一度夫婦になると一生をともに添い遂げます。少し小さめの、若いカップルを見て、「2人で安全な場所を見つけなさいね。」と心の中で話しかけました。かちがらすは行ったり来たりしながら、芝生をつついていました。

動物は、いつか必ず死にます。それは、ヒナのようにどうしようもない状況で若い命を落とすのかもしれないし、寿命を全うしてのことかもしれません。ごはんをもらえない猫でも、散歩に連れていってもらえない犬でも、自殺することはありません。だからこそ、ペットを飼ったなら、私たち人間が食べ物を与え、健康に気を遣い、幸せにする義務があります。

人間に飼われても、不幸なペットはたくさんいます。飼養拒否されて、ろくにごはんをもらえない、体は全身ダニでびっしり、散歩には行かない、小屋の周りに用を足しても掃除してもらえないまま、ブラシなどかけてもらったことがないという犬を私は知っています。飼養拒否はりっぱな虐待なのですが、当の飼い主たちはいっこうにそうとは思っていないようです。

動物を飼うには「余裕」と「知識」が必要です。時間的余裕、金銭的余裕、心の余裕がないと、ペットにつらく当たってしまいます。知識がないと、ペットを飼っても病気にしてしまうかもしれません。それどころか、具合の悪いことに気づかないまま数年が経過、ということさえありえます。

これからペットを飼おうと思っていらっしゃる方には、必要に応じて、近所の人に応援を頼む(つまり、頼めるようなご近所付き合いを普段からしておく)、評判の良いペットシッターを事前に探しておくなど、自分が「余裕をもって、自分の生活ができる」ようにしておくことをお勧めします。ペットシッターはとてもありがたいのですが、自宅の鍵を渡すことに抵抗がある人々はまだまだ多くいることでしょう。特に都会で女性の一人暮らしとなると、ちょっと考えてしまいますよね。だからこそ、ご近所つきあい、友人つきあいが功を奏します。動物病院や病気の治療法なども同様ですが、実際に経験した人たちからの情報はとても役に立つものです。ぜひ、普段からの人間関係をペット目線で見直してみてはいかがでしょうか。



2012/05/18

カラスとかちがらす(3)

愛犬の美しい眼差しで我に返った私は、あらためて、深呼吸を1つしました。

しょうがないのだ。これが自然だから。でも、自然は残酷だな。
カラスも山に食べ物がないのだ。しょうがないんだよな。
でも、悔しいな。あと少しで、飛び立てたのに。
あと、少しだったのに・・・。

あと少しで、「完璧」だったのでした。予定通りに行くはずだった、のです。

人は誰でも、「予定通りに行く」ことが好きですよね。問題なくスムーズにいくと、安心していられます。特に命がかかわっているならば、それは非常に重要なこととなります。でも、ここで大事なのは、予定通りにいって嬉しいのは、かちがらすの親と私(!)で、カラスにとっては違ったということです。立場が変われば、すべてが変わります。

かちがらす夫婦からヒナを奪ったカラスたちは、私からえさを奪われました。誰かにしたことが、自分たちに返ってきました。これを宇宙の法則というのでしょうか・・・。

翌日、同じ場所を見てみました。かちがらすの巣には数羽のカラスが陣取り、出たり入ったりしていました。自分たちの産卵に使うつもりでしょうか。

原っぱには乾燥した緑のお布団が残っていました。私はビニール袋を持参して、お布団ごとヒナを持ち帰りました。そして、裏庭のあじさいのそばに、ヒナを埋めました。「ここならね、カラスに見つからないからね。あじさいで隠れるから。お父さんとお母さんの巣からは少し遠いけどね、ごめんね。」そう言って、うず高く土を盛って、犬がその場所を掘らないようにしました。

心なしか、いつもより多くのカラスが自宅を監視しているように感じました。実際には、数日前から非常に多くのカラスが近所に来ていたので、私の思い過ごしでしょう。ご近所の方いわく、「最近多いでしょう?この時期はカラスのお見合いなのよ。」ということでした。それでも、いつもは静かな辺りにカラスの鳴き声がこだまするのは少し気味の悪いものでした。

カラスはなぜ、草をかけたヒナに、1羽も近よらなかったのでしょうか。私は「しつこく、またやってくるかも。」と予想したのです。彼らは目で獲物を探すことが知られています。ヒナが急に消えてしまった、と理解したのでしょうか・・・。



きっかけを思い出すこと

そもそも、これを始めたのはどうしてだっけ?
どんないきさつやきっかけがあったのだっけ?

こんな風に、ときどき思い出してみると、思わず初心に帰れます。そして、すっかり忘れていた出来事を思い出したりもします。瞑想はそれを楽にできるよう、助けてくれます。何かの雑誌で読みましたが、最近は企業の経営者の間でも瞑想が流行っているらしいですね。誰にも頼らず、未来を左右する決断を強いられる経営者には鋭い直感を磨く必要があるということでしょうか。

さて、私は読むこと・書くことが好きなのですが、あまりに当たり前すぎて、つい最近まで自分がそれらを「好き」なのだとは夢にも思っていませんでした。日常でブログを書いたり、FacebookやTwitterに書き込みをしたり、ホームページを作成したり、自分にとってはあまりに当たり前なことなわけです。そんなときに、第三者である友人の意見に驚かされました。

「紅美ちゃんは文章書くの上手だから、いいよね~。」
「ブログなんて、書くのが好きでないと続かないよ~!」

私って、文章書くのが上手なの?!
普通は続かないものなの?!

ブログは2004年くらいから始めました。途中、使用していたブログの会社経営が変わったり、「ええーい、もう、こんな古い自分とはおさらばだ!」となぜか思い立ったりして削除してしまったものもあります。けれど、ずっと続いているのは書くということ。ポエムや、日常の出来事、または瞑想で見たお話だったりと様々な内容ではありますが、書くということ自体、なぜか「止められない」のです。今朝の瞑想で、その原点を思い出しました。

小さな女の子が図書館の本棚と本棚の間に座りこんで本を読んでいます。小さいときの私です。ギリシャ神話、ローマ神話が大好きで、全巻読破しました。読むことが楽しいと心から思っていた頃です。それから、祖父が入院した病院へ両親に連れられてお見舞いに行ったシーンになりました。薄暗い廊下に、大人用のスリッパを履いた私の足音がパターン、パターン、と響いていたのがちょっと怖かったのを思い出します。そしてそれを作文に書いたのでした。

作文は見事に何とか賞をいただき、文集に記載されたのでした。私が初めて、自分のクリエイトした作品を他人に認めてもらった瞬間でした。しかし、そのときは周囲から褒められたものの、自分としては経験したこと、心に残ったことを素直に書いただけなので、なぜ褒められるのかがわかりませんでした。

瞑想がすごいのは、ここで終わらないところです。現在の大人の自分がみた視点から、この子供のころの出来事を感じることができるのです。実際、わたしは何とか賞をいただいた時の小さな自分を再度感じました。大人のまま子供の心を感じてわかったことは、実は、この時の私は本当は、とてもとても嬉しかったのだ、ということです。けれど、あまり喜ぶと周りのお友達から冷たくされるかもしれない、仲間はずれになるかもしれない、だから目立たないようにしよう。そういう防衛本能から、思いきり喜ぶことを止めてしまったのです。

目立つ事への恐怖というのは、団結や団体を重んじる日本人には多いのかもしれません。欧米のような個人主義の国では、また違うのでしょうね。

あの時の自分は、本当は、こんなに嬉しかったのだ。
それがわかったとき、なぜ自分が書くことを止めないのかがわかりました。そうして、それを続けてよいのだ、と快く自分を許すことができました。1日の中で、自分に「書く」という時間を与えてあげる。それは自分の創造性を発揮させて表に出してあげることにもなります。

ルイーズ・ヘイの本によると、女性の場合、創造性は内臓でいうと卵巣とも関係があります。(まさに、赤ちゃんを創造する臓器ですね!)現代女性は卵巣に問題を抱えている人が多いと思いますが、まさにこれではないでしょうか。

自分の人生において、創造性を発揮したいもの、ことを再度思い出す。大事なことです。





2012/05/15

カラスとかちがらす(2)

ヒチコック映画さながらの原っぱをよく見ると、歩道沿いにカラスが輪になって「ぎゃあ、ぎゃあ!」とけんかするように騒いでいます。上空ではかちがらすの夫婦が仲間を呼ぶように必死で鳴いていました。

「!」。 ピンときた私は犬と一緒に、カラスが集まっている場所へ猛ダッシュしました。だいたい、カラスがたくさんいるだけでも気持ち悪い風景なのに(カラスファンの方、ごめんなさい!)そのうえ、想像を絶するうるささ。騒いでいるカラスは犬と人間の登場で、一斉に飛び立ちました。

はたして、そこにあったのは、立派は羽が数本残った、かちがらすのヒナでした。ああ、やっぱり・・・。巣立ちまであと少しだったのに・・・。首や胴から出血していて、すでにこと切れていました。

「はあ~。」重いため息をついて、しゃがみました。ああ、どうしようもなかったね。まだ飛べなかったのにねえ。ごめんね。救ってあげられなかった親を恨むかい?でも、親もどうしようもなかったんだよ。どうか、許してね。

動かないヒナに心の中で許しをこい、これで怖い思いをすることのない世界に行けたことを祝福しました。でも、残念でなりません。ちいっくしょー!といくら悔やんでも、何もできないのです。がっかりしながらも、これ以上、ヒナがつつかれないように、手当たり次第に草をちぎって集め、上からそっとかけてあげました。緑色のお布団をかぶったヒナに、カラスは一羽も近づきませんでした。

親はすべてを知っていて、何でもできるかのように子どもは思います。少なくともそう信じているでしょう。でも、大人でも知らないことはあるし、できないことはあるのです。子どもの命を守れないときだってあります、動物も、人間も。ヒーラーとしてクライアント(患者)を救えない時だってあります。要は、この3次元の世界では「限界がある」ということです。これを受け入れるのは、ときに辛いことです。

電線には相変わらずカラスが真っ黒に並んで止まっており、近所の家の屋根、アンテナなどにも数羽ずつ止まって、うるさく鳴き続けていました。この時ほど、カラスが憎く見えたことはありません。私は完全にかちがらす派でした。こんな大勢で、たった2羽のかちがらすから大切なヒナを奪ったのか!許せん、卑怯者!

実際にはほんの数羽のカラスが巣を襲ったのかもしれません。でも、その時に多くのカラスがいたために、私は真実ではなく、状況から思い込みをしました。同時に、自分の人生で「裏切られた」経験が関係していることも、頭のどこかで自覚していました。小さなこどもが経験する、大人からの辛い裏切り。それは例えば、隠しておいた宝箱をゴミと勘違いされて捨てられるようなものです。

怒りにメラメラと燃える私を、愛犬は「どうしたの?」という顔で見上げていました。こんな時、動物と一緒にいると本当に助けられます。私は愛犬の不思議そうに私を見上げる目を見て、地に足がつきました。怒ることを「頭に血が上る」と表現しますが、まさに、エネルギーも上に上ります。大地から離れそうになったとき、善悪など判断しない犬が、いったい私がどうしたのか不思議そうに見上げたのです。




本日のメッセージ

【自己紹介】 中村久美恵 BBSH2011年卒業BHSプラクティショナー💖動物が大好きなエネルギーヒーラーです💛犬2匹猫30匹をお看取りした経験から、ペットロスのヒーリングサポートをしています。こんにちは、中村久美恵です^^ 今日もあなたが目覚めるメッセージ♡お届けします。 ...