2012/06/27

今日は、いまの私。

次の記事も、次の次に書きたいこともちゃんとメモしてあるのですが、なかなか言葉が始まりません。

子猫たちのこととか。
むくどりのこととか。
つばめたちのこととか。
魚屋のおじさんのこととか。(笑)

ネタは他にもたくさんあるのですが、わたしの中でなかなか始まりません。
結果がないんです。(ネタなのに?)で、書きにくいなー、と感じる自分がいます。
でも、書きはじめているので、もう少し待っててくださいね。



ここを訪れてくださる方が少しずつ増えてきて、嬉しいです。

わたしはツイッターをしていて、おもに、どうぶつ関連の方をフォローしています。そういう方のつぶやきを見ていると、本当にどうぶつ愛護に熱心な方が多くて、頭がさがります。そして、感謝したくなります。特に、行政や自治体、法律がらみの案件は変化するまでが本当に大変なのですが、あきらめずに行動を続けていらっしゃる方々に心から感謝したいと思います。

私自身も愛玩動物飼養管理士の資格(いまは2級です)を今年1月に取得しました。BBSHを卒業見込みとなった時点で、自分らしく手当てヒーリングをやっていくためには、どんなことが出来るかな?と見直し始めた矢先、さまざまな情報を検索していて、同資格のことを知りました。

何もしないよりはマシ、それに動物の解剖学をもっと勉強したいと願っていたころでした。おかげさまで、法律から飼育方法まで、多岐にわたって学ぶことができました。犬猫のほかに、ウサギ、ハムスター、鳥類、爬虫類まで。

自分で飼ったことがあるのは犬猫までなので、現在のところは手当てヒーリングも犬猫で承っています。けれど、それ以外の動物をヒーリングしてほしいとご希望のお客様がいらっしゃって、そういった動物たちをまだヒーリングした経験がない私でもかまわない、とおっしゃってくださる方がいらしたら、ぜひお声がけいただきたいと思います。出来る限りのことをさせていただきます。



愛犬をヒーリングするたびに思うのは、どうぶつの素直さとエネルギーに対する敏感さです。必要なら受け取り、十分になったら、すくっと起き上がったり、向きを変えたりして「もう、いいよ。」と知らせてくれます。3分のときもあれば、10分のときもあります。

自分のペットに人生相談をする人が全体の85%いる、という記事をインターネットで読みました。わたしは以前からこれには賛成できません。彼らは言葉を理解しなくとも、そのエネルギーに敏感に反応します。ネガティブな相談をして、飼い主は助かることでしょう。相手は無条件の愛で飼い主を受け止めてくれますから。

でも、そのペットはどこへ相談するのでしょうか?

「最近、わたしの飼い主は愚痴ばかり聞かせるんです。会社のことや、同僚のこと、果てはガールフレンド(ボーイフレンド)と別れたとかなんとか・・・。もう、耐えられません!」

もちろん、私のところへ来てくださっても構いませんが(笑)、飼い主さんには、ペットにもストレスがたまるということを忘れて欲しくはないのです。だまって聞いてくれている、目の前のペットがあなたのネガティブなエネルギーの影響を何ひとつ受けていないと思わないでほしいのです。

彼らの無条件の愛は、病気になって現れます。ある日、突然、大病をわずらうわけではありません。(事故以外は)人生相談(内容にもよりますが)や愚痴は、ネガティブなエネルギーを呼び、幸運を呼んできてくれるわけではありません。

20代、30代という働きざかりの人たちが、自ら命を絶つことの多い社会。米国のように、働く人があたりまえのようにカウンセラーへ(愚痴を聞いてもらうために)通ったり、メンターやコーチ、指圧師やマッサージ師、セラピストなど数人を自分の「お抱えチーム」として持っていることは大事です。

みなさんも、どうか、良いチームを創り上げてくださいね。



2012/06/26

無償で親切にする

梅雨で雨が続いています。沖縄県が梅雨明けしたそうで、九州ももうすぐ梅雨明けかもしれません。風水の一説によると、雨の日は陰の気が強くなるため、からだがバランスを取ろうとかっかしやすい(陽の気)そうです。くれぐれも喧嘩などなさらないように。元に戻りにくいそうですよ。

雨の朝も、愛犬との散歩はかかせません。雨が小降りになったところを見計らって、「それ~!いまだ~。」と出かけます。

いくつかあるお気に入りの散歩ルートから、彼が選んだ道をおもに歩きます。愛犬が立ち止まってにおいをかいでいたり、トイレを済ませている間などは、わたしの傘を斜めにして、彼が濡れないようにします。雨がひどいときは犬用レインコートも着ますよ。

でも、そんな努力もむなしく、愛犬はたいがい、びしょ濡れ。小雨や霧雨ならまだしも、途中から本格的などしゃぶりに合ったりすると悲惨です。先日、そんなどしゃ降りにあってしまいました。これはいけない、と道を急いでいると、彼が小さな雨宿りスペースに駆け込みました。

そこは、商店街の端っこにある普通の家で、幅50センチ~60センチくらいの軒下にコンクリートが乾いているスペースがありました。愛犬が見つけたのですが、なぜ、乾いているスペースがわかるのか、不思議です。犬は近眼であり、色も青や緑系の色以外はどのように見えているのか、はっきりとはわかっていません。灰色のコンクリートは何色に見えているのでしょうか。

一緒に軒下へ来たものの、人間が濡れないようなスペースはありません。私は傘をいったん下に置いて、お散歩用のポシェットに入れていたハンドタオルを取り出しました。私の愛犬はなぜか、顔や頭が乾くと落ち着くようで、それで愛犬の顔をふきました。

ハンドタオルはあっという間にびしょ濡れになり、ぞうきんのように絞ると「ジャー!」と勢いよく水が流れました。と、その時。

玄関のドアがガラリとスライドして、目のぱっちりした女性が顔を出しました。「しまった!」。もし、犬が嫌いな人だったら、置いてある植木鉢や花などにおしっこされるのをいやがります。その家にはきれいに手入れされた赤や白の花がたくさん置いてありました。

「すみません、すぐ行きますので。」怒られると思い込んだ私はあわてて愛犬を引っ張りました。ところが、その女性は大きなタオルを差し出して、「どうぞ。あの、返さなくていいですから。ちゃんと洗ってありますから。どうぞ。」と言ってくれたのです。

「?!」。この土地に引っ越してきて、犬を連れている時にこんな親切な言葉は初めて言われました。田舎では犬を番犬として飼う人が多いので、人間より下の召使い、くらいの感覚の人が多いのです。

わたしは驚きのあまり、一瞬言葉がでませんでした。彼女の親切をすぐに受け取ることができず、つい、「いえ、すぐ行きますから。」と答えてしまいました。彼女は「本当にどうぞ。返さなくていいですから。まだ、雨宿りしていってください。」と更に言ってくれたのです。

「それじゃあ、お言葉に甘えて・・・ありがとうございます。」やっとのことで、彼女の親切を受け取ることができました。受け取ったタオルはふわふわで、愛犬の全身を拭くことができるくらいの大きなものでした。


しばらくすると、雨が小雨になって、愛犬が急に歩き出しました。ちょっとホッとしました。家を通り過ぎる前に、会釈してから通り過ぎました。誰もいなかったのですが、本当に、感謝でいっぱいだったので、そうせずにはいられませんでした。

愛犬は毛皮をきれいに拭いてもらったからか、急に足取りも軽くなって、スタスタと早足で家に向かってくれました。私はといえば、涙でいっぱいでした。

魂がふるえるように、涙が次から次へと流れてきました。

「人の温かさを受け取るっていうのは、何て素晴らしい体験なんだろう。」そんな気持ちでいっぱいでした。BBSHの4年生だったとき、クラスメートの前で行った自分の発表のときにも、同じ気持ちになりました。だまって、わたしのすべてを受け止めて、その場に(心も)一緒にいてくれた仲間たち。

そういえば、災害のときに何キロも家に向かって歩いている途中で、無償でおにぎりをもらった人の話を本で読みました。あの人たちは、きっとこんな気持ちだったのだろうな。

見ず知らずの人に、本当に、心から親切にしてもらう、という体験。そして、それを受け取る、という体験。


何て、温かいんだろう。


PCのようなバーチャルな世界では決して味わえない、人生のひとこま。こういう体験をするために、人は生きているのかもしれません。



2012/06/17

責任を愛と言い換えてみる

大人には責任がともなうことが多いですね。いや、というよりも、日常のほとんどがそうではないでしょうか?親なら、子どもに対して。働く人なら、部下や自分の仕事に対して。私のように動物を飼っていたら、飼い主としてペットに対して。

「責任があるから、ちゃんとしなくっちゃ。」
「飼い主の責任だから、動物病院へ連れて行かないと。」
「親の責任なんだから、子どものしつけをしっかりしないと。」
こんな言葉はなじみやすいのではないかと思います。そうして、人はもちろん、自分の人生に対して、全責任があります。

この、「責任」という言葉を「愛」という言葉に言い換えてみたら、どうなるでしょうか。

「愛があるから、ちゃんとしなくっちゃ。」って、文章がしっくりマッチしてない気がしませんか。「愛があるから、ちゃんとしよう。」このほうが、しっくりくる気がします。(まあ、個人的にですが)

「飼い主の愛だから、動物病院へ連れて行かないと。」
「飼い主の愛だから、動物病院へ連れて行こう。」

「親の愛だから、子どものしつけをしっかりしないと。」
「親の愛だから、子どものしつけをしっかりしよう。」

どうも、「責任」という言葉は人にプレッシャーを感じさせやすいように思うのは、私だけでしょうか。日本人は特に真面目な性格なので、そう思いやすいのかもしれません。

責任があるから「やらなければならない」というスタンスになりやすいことって、仕事では多々あるような気がします。でも、これが「愛」という言葉に置き換えられたなら、仕事っぽくは感じないかもしれません。仕事なのに、ちょっと不真面目に聞こえるというか、そんな軽くていいの?みたいな。(笑)

仕事を軽くこなしては、いけないでしょうか。
子どものしつけを、軽くこなしてはいけないでしょうか。
動物病院へ行くことを、軽くこなしてはいけないでしょうか。
重くある必要は、あるでしょうか。

責任を愛と言い換えてみると、今まで重く感じていたものが、軽く感じられるかもしれません。今まで大変だと感じられていたものが、簡単に感じられるかもしれません。今まで、できないと思っていたことが、できるようになるかもしれません。

責任って、愛があるから、取ろうとするのかもしれません・・・。




2012/06/15

のら犬と私(5)

何とも居心地の悪い目覚めでした。犬が逃げ去った翌朝、のろのろと起きだして、愛犬の散歩の準備を始めました。そうだ、散歩しながら探してみよう。まだ、あきらめきれませんでした。

きょろきょろしながら、愛犬に引っ張られるままのコースをよたよた歩きながら探しました。似た犬はいないかな?お腹すかせていないかな?いったい、どこに行ったんだろう?

結局、朝の散歩でも、夕方の散歩でも、あの犬は見つかりませんでした。「はあ~。」ため息ばかりがでます。数日間、こんな散歩が続きました。

ある日の夕方、愛犬を連れて歩いていると、ご近所さんが声をかけてきました。「犬は元気?」「ええ、おかげさまで。結構、食べるようになったんですよ。」「あら、そう。やっぱり、お腹が空いてたんでしょうねえ。だって、細い足してたものねえ。」「?」。話がかみ合わないことに気づいて、少し沈黙していると「ほら、あの犬よ。その子(私の愛犬)じゃなくて、この前、保護したって言ってた、あの犬よ。」ああ、痛いこと聞かれちゃった。「ああ、あの犬・・・あの犬ねえ、逃げちゃったのよ。捕まえた日の夜にねえ。」そして、事の次第を話したのでした。ご近所さんは「あらあ、それはボケてたのかもねえ。」と言って「まあ、しょうがないわよ。もう、あなた、その子がいるからいいじゃないの。」となぐさめて(?)くれました。

そう。愛犬は私にとって人生の道のりを一緒に歩いてくれる、大事な大事な友人であり、相棒であり、先生でもあります。この子を幸せにすることは、私にとって大きな意味があります。でも・・・。あの犬と納得できない別れ方をしたことが、小さく鋭いとげのように、私の心に残っていました。

人間はなぜ罪悪感を持っているのでしょうか。自分を責める、この小さいけれど、しつこい声。子どもの頃に、大人が自分(個人)の価値観が正しいと信じて、子どもに投げかけてきた、命令口調の声。
「どうして、逃がしちゃったの?」
「だめじゃないの、ちゃんと気を付けていないと。」
「あなたのせいよ。どう責任とるの?」
「だからダメなのよ。しっかりしないと!」
「もう、どうしようもないわね。あきらめるしかないじゃない。」
「泣いたって駄目よ。まったく、しょうがないわね。」
こんな声が私の心に響いては消え、響いては消えてゆきました。

「自分にはどうしようもないことが、人生には起こる。」これが、私の中の先生の声でした。そう、子どもにも、大人にも、自分ではどうしようもない出来事が、確かに人生には起こるのです。
電車の遅延。
飛行機で出る急病人。
会社の方針転換。
そして、誰かの死。
これらからいつも学ぶのは、「自分には力の及ばないことが、ある。」ということです。自分には出来ないことがある。そう認めるには勇気がいります。でも、それが現実です。ジブンニハ、デキナイコトガアル。だから、できなかったこと、できないことを責める必要はないのです。ただ、できなかった、と認めるだけで十分なのだ。そう、思うに至りました。

今でも「あのときは、残念だったなあ。」と思い出すことがあります。けれど、あの犬にとっての最善は、やはり、ここから逃げ出すことだったのでしょう。




2012/06/10

循環すること

朝、パンを食べるとコーヒーを飲みたくなります。(コーヒーのアロマには間違いなく、ホッとする何かが含まれていると思います、笑。)でも、ご飯だとお茶が飲みたくなります。食事と飲み物のマリアージュは、よりおいしく食事するために、私にとっては大事なことです。

先日の朝、インスタントコーヒーが残り少なくなっているのに気づきました。「ああ、そろそろ買っておかないとなあ。」と思って、ふと、「ん?」と思いました。

私は庭にさまざまなハーブを植えているのですが、ここ数週間、それらを収穫して、ドライハーブティーを作っています。カモミールの信じられないくらい繊細で美しい香りやペパーミントのさわやかな爽快感など、既製品とはまた違った、優しくマイルドな香りとのど越しを味わうことができます。
多少の肥料(今は100円ショップでも手に入ります。)代や水道料金はかかるものの、収穫量から考えると、お財布にも優しいのではないでしょうか。それに飲み終わった茶葉は(もちろんオーガニックなので)他の植物の肥料として与える事ができます。

空になりつつあるコーヒーのビンを見ながら、ハーブを思い出し、「コーヒーは自分で作れないんだよなあ・・・。」と気づいたわけです。ビンが空になれば、また買うしかない。また空になったら、また買うしかない。

私は最近、ホームページ・ソフトを使用してのサイト更新をやめました。(今日までは古いサイトもご覧いただけます。)ちょうど、契約している会社から利用に関する更新期限と新規入金の期限についてお知らせが届いたところでした。サイトを更新したり、写真を変更したりするにも、もっとスピーディでオンタイムな方法がないかなあ。毎回、更新料金がかかるけれど、これがなくなる方法はないかなあ、と思い始めていたところでした。

いろいろ検討した結果、以前、アカウントを作成していたタンブラー(こちらです)をもっと利用することにしました。これは投稿される写真を自分のサイトにスクラップを作るようにたくさん表示することができるSNSです。気分によってジャンルを選び、投稿されたたくさんの写真を見ていると、とても楽しいのです。それに、自分でリブログすると、好きな写真がサイトのホームに表示されます。そう、オンタイムで自分の好きなものを読者の方にもご覧いただけるわけです。

ハーブやSNSの写真のように、どんどん循環させる。これらは小さな例ですが、地域や環境、地球という大きな基盤を元に考えた場合、もっとたくさんのものや人に、生かせるのではないでしょうか。ネイティブインディアンの言い伝えで、「7世代先までのことを考えて行動しよう」というのがあるそうです。

20代、30代の自殺が多い、いまの日本。私たち大人が、循環する社会を作っていくのは、とても大事なことであると思っています。


のら犬と私(4)

それまで静かに寝ていたメス犬は、日が落ちて、暗くなってくると落ち着かなくなりました。ワンワン!と吠えだして、ベランダを行ったり来たりするようになりました。

「どうしたんだろう?」と様子を見に行くと、少し遠くを見つめながら、すでに目的地へと想いを馳せているようでした。彼女の中では行先が決まっていたのかもしれません。自分の居場所はここではない、と犬が強く感じているような印象を受けました。それと同時に、昼からずっと寝ていて、そろそろトイレの時間かもしれない、とも思いました。庭を見渡してみても、用を足した形跡はありません。とりあえず、近所に散歩へ連れて行こう、そう思い立ちました。

散歩用の、太めのリードを持って、係留用の金属製コードを取り外した、その瞬間でした。犬があっという間に逃げ出してしまったのです。あまりに突然で、声もでませんでした。あわてて追いかけると、すでに近所のアパートのごみ置き場で匂いをかいでいました。しかし、そこでも彼女の知っている匂いはしなかったのでしょう。今度は逆方向へ向かって、すごい速さで走っていきました。あの、枯れ枝のような細い足で、あんなに早く走るなんて!犬が走り去った場所へ到着したときには、もう、暗闇にまぎれて見えなくなってしまっていました。

「どうしよう!」。これが最初に私の頭をよぎった言葉でした。どうしよう。どうしよう。せっかくつかまえたのに。保健所につかまったら、どうしよう。だいじょうぶかな?車にひかれたりしないだろうか?さんざん心配していると、ふと、「もしかして、これで良かったの?」という疑問が浮かびました。

つかまえたのは、私のエゴだよな。私が安心しても、あの犬にとっては安心できなかったんだな。
もしかしたら、あの犬は痴呆症が入っていたのかな?動物病院の先生が言ってたっけ。
どこか、目的地がはっきりあったんだろうな。例えそれが、痴呆症によって思い起こされる場所だったとしても、それは、彼女にとって、本当に行く必要がある場所だったのだ。

私は不安と、軽い絶望と、がっかりした気持ちでいっぱいでした。ああ、私に出来ることはなかったのだろうか。余計なことをしてしまったのかな。力になりたかったのに。

対どうぶつの場合、何が相手にとって幸せか、ということを熟慮することは非常に大切です。動物を保護するときには、「可哀想に。」という、優しい気持ちだけでは終われないからです。保護しようと試みる人間が「真の強さ」を発揮するときに、お互いが本当に必要なものを提供することができます。

私は犬が走り去った方角をぼうっと、つったったまま見つめていました。




2012/06/02

のら犬と私(3)

暑い日差しの中、しかもお昼時という一番気温が上がる時間帯に、2件目の動物病院めざして1人と1匹は歩き続けました。午後1時までに到着しないと、動物病院が休憩時間に入ってしまいます。枯れ枝のような足をしている犬でしたが、早足で歩いてくれました。途中、日陰に入って、水を与えるとたくさん飲みました。

動物病院のドアを開けると先客がいて、少し待ちましたが、すぐに診てくれました。診察台は約1mくらいの高さなのですが、上に抱え上げようとすると犬は先生に吠えて、噛みつこうとしました。私はちょっと驚きました。どうしてこんなに、人によって態度が変わるんだろう?犬とは不思議な生き物です。先生は看護師さんに手伝ってもらって、犬の口を包帯で巻き、噛まれないようにしてから検査を始めました。

わかったことは、フィラリアは陰性であること、だいぶ年をとっていること、痴呆症があるかもしれないこと、首輪の状態を見る限り、あまり良い環境で飼われてはいなかったであろうこと、そして首輪の裏側にも住所や電話番号、名前は書かれていないということでした。こういう時、連絡先さえわかればと本当に残念です。

財布を持たないまま来てしまったことを先生にお話しすると、「いつでもいいですよ。」と言ってくださいました。愛犬がお世話になっているので、うちの住所や電話番号もカルテでわかります。信用してくださる先生たちに感謝しました。ご参考までに、健康診断や血液検査(フィラリア検査)で約5,000円かかりました。

再び暑い日差しにさらされながら、1軒目の病院に戻りました。そこで、私の自転車をピックアップして、片手に犬のリード、もう片方の手で自転車を押しながら帰宅しました。ああ、何て遠い道のりなんだろう。とにかく帰って、たっぷりのごはんと水をあげよう。ベランダにつないで、しばらく様子を見よう。そう考えながら、ひたすら歩きました。

家につくと、早速、ごはんを準備しました。犬は夢中で食べ、たっぷりと水分補給をすると、もみじとブロック塀の陰に横になって、昼寝を始めました。ようやく安心したのでしょう。犬の下にはセルフ・ヒールという名のハーブが絨毯のように茂っていました。

ぐっすり寝ていた犬に、変化が現れたのは、夜暗くなってからでした。